特集 変わる公共交通 厳しい〝地域の足〟維持へ
東京都内で8月下旬、公共交通に関するシンポジウム、セミナーが開かれた。一つは2020年にサービスを開始した三井住友カードの交通事業者向けタッチ決済乗車サービス「stera transit(ステラトランジット)」に関するもの。タッチ決済を採用する事業者が増加する中、導入事例や今後の展望などを示した。もう一つは地方民鉄や第三セクター鉄道、さらに高速バス事業者向けの「公共交通マーケティング推進プログラム」提供開始に合わせたもので、マーケティングの重要性などを示した。それぞれのポイントを紹介する。(鴻田 恭子記者)
■クレカタツチ決済
柔軟なサービス、分析可能に 三井住友カードがシンポジウム
今後一気に拡大
クレジットカードの利用方法として、タッチ決済は年々拡大。Visaブランドの場合、対面でのクレカ決済に占めるタッチ決済の割合は、日本では20年の1%から今年(6月時点)には40%、26年には70%まで広がると想定される。
そのけん引役となるのが交通分野。ステラトランジットの採用は、24年度末で鉄道、バスなど約180社、36都道府県で実証実験を含め何らかの形で利用できる環境が整う見込みだ。大手民鉄でも「2025年日本国際博覧会」(大阪・関西万博)開幕を控え、関西地区での導入が盛ん。首都圏も本年度、来年度で一気に拡大する計画となっている。
最初に登壇した三井住友カードの大西幸彦代表取締役社長兼最高執行役員は、「ステラトランジットは、クレカタッチというグローバルスタンダードな決済方法であること、後払い、クラウド方式であることから、インバウンド対応に加え、勤務形態の変化などを受けた料金・サービス設計を柔軟に設定できる。現金の取り扱い負担軽減などの業務効率化、カード所有者の属性と移動・購入履歴などを掛け合わせたデータ分析なども可能だ」とタッチ決済の長所を語った。
業務効率化データ活用も
さらに、月額上限割引やマイナンバーカードと連携した割引施策など柔軟な乗車サービスの提供、データ分析結果を確認できるツールの提供、MaaS(マース)サービスの基盤構築など今後について示し、来春にMaaSアプリの提供を予定していることも明らかにした。
同社の石塚雅敏アクワイアリング本部Transit事業推進部長はデータの具体的な活用方法などを提示。交通事業者、機器メーカーなどをメンバーとする情報連絡会立ち上げの方針も示した。また、Visaグループからは、世界でのタッチ決済の浸透状況、事例などが説明された。
後半では国内の取り組みとして、国土交通省の土田宏道総合政策局モビリティサービス推進課長、東急電鉄の伊藤篤志代表取締役・専務執行役員、みちのりホールディングス(HD)の桔川勉グループディレクターをはじめ国や自治体、銀行、事業者らが登壇、事例を紹介した。
◆国内の取り組み紹介◆
土田宏道国土交通省総合政策局モビリティサービス推進課長
デジタル化による生産性向上が重要
移動をめぐる課題は特に地方を中心に深刻さを増している。デジタル化による生産性向上を通じ公共交通を維持していくことが重要になっている。その中心がMaaSであり、基盤としてまずデータ、そしてキャッシュレスになる。
行政としての仕事はまず、標準化により市場環境を整えることやガイドラインを作成すること。キャッシュレス化は、利用者にとってはシームレスな移動が可能になり、ポイントなどの還元でお得感が出て移動の促進につながる。事業者にとっては、乗降データの蓄積を営業施策に活用でき、現金を扱うコストの削減で生産性向上につながる。
タッチ決済やICカード、顔認証などさまざまな決済手段があるが、長所と短所を見、地域ごと、あるいは事業者ごとに最適なものを見極めて、できれば複 数の手段を導入するのがいいと思っている。データについては交通だけでなく、目的地でのサービスと結びつけることでサービスの付加価値を高められる。分析により、まちづくりもしやすくなると思う。
伊藤篤志東急電鉄代表取締役・専務執行役員
移動を基軸に沿線まちづくり推進
当社は移動によるウェルビーイング実現のため、相互直通運転やホームドア整備に注力してきた。今後は社会的幸福の向上のため、沿線での生活をさらに楽しんでもらう取り組みを考えている。これに当たり、目的地と交通をデジタルでつなぐ移動のプラットフォームを構 築した。外出支援の仕組みづくりに取り組み、人と情報が行き交う豊かで活気ある地域社会の実現を目指したい。
デジタルの一つ目が昨年8月に開始したデジタルチケットサービス「Q SKIP」、もう一つが今年5月に開始したタッチ決済で、いずれも柔軟なサービス設計が可能な点に期待している。日ごろ利用するクレカで、沿線の方、訪日外国人を含む来訪者の方に、引き続き柔軟でシームレスな乗車サービスを提供していく。利用は堅調に伸びている。今後は顧客と地域の魅力である「場」「体験」をつなぐ移動プラットフォームを構築し、移動を基軸とした沿線まちづくりを推進、さらに事業者間連携により、東京圏を中心とするエリアの活性化にも貢献したい。
桔川勉みちのりホールディングスグループディレクター
利用順調、めざすは完全キャッシュレス
みちのりHDは北関東・東北の乗 合バス主体の事業者を中心に、湘南モノレール、佐渡 汽船などを傘下に持つグループ。キャッシュレス決済は小銭の用意が必要という心理的なハードルをなくし、スムーズなバス乗降や定時性 確保にもつながるので、非常にメリットが大きい。設備 投資やオペレーションコストの大幅な削減にもなる。
Visaのタッチ決済については20年に国内バス事業者で初めて採用し、その後も拡大。現在の一般路線バスの決済端末は一つで多様なキャッシュレス決済方法に対応している。機器数を増やすとコストが下がらず運用も複雑になる。処理速度などの問題もあったが供用開始までに1つずつクリアした。利用促進策として割引を行っており、利用も順調に伸びてきた。9月以降、福島交通飯坂線と会津バスでもキャッシュレス決済を導入する。今後、完全キャッシュレス実現に向けた取り組みを進め、オペレーションの省力化、データ活用による地域への貢献、新技術によるイノベーションなどにつなげていきたい。
■マーケテイング推進
「顧客視点」基本に現状打破
事業者向けプログラム提供開始セミナー
公共交通マーケティング推進プログラムは、鉄道業界のコンサルティングを手掛ける日本鉄道マーケティング(山田和昭代表)、高速バスマーケティング研究所(成定竜一代表)が連携し、公共交通事業者向けにマーケティング感覚を養うプログラムを提供するもの。
感覚を養う
山田代表はIT業界から若桜鉄道の公募社長に転身、SL走行の社会実験などを実現。その後、定期船運航会社を経て近江鉄道で「全線無料デイ」などの企画を実行、利用促進につなげた実績を持つ。成定代表はホテル勤務、高速バス予約のシステム立ち上げなどを経て会社設立。高速バスのウェブ・マーケティングやダイナミックプライシングの第一人者でもある。
育成するのはマーケティングのプロではなく、マーケティング感覚を持った人材。顧客視点で考える習慣を持ち、企画立案する基本的な方法を学んでもらう。受講対象は社内にマーケティング専任部署のない事業者・事業者団体。地方民鉄、第三セクター鉄道、路線バス事業者などを想定する。
4つのPとは
セミナーではプログラムの説明後、マーケティングの四つのP(プロダクト、プライス、プレイス、プロモーション)について話題を展開。プロダクト(商品)では、顧客の定義が重要とし、山田代表が「鉄道事業の顧客を住民ととらえると商品はダイヤだけではない。鉄道が地域にどう貢献するかが商品。鉄道は雇用を作り、地域発信で入り込みを増やすことができる」、成定代表が「高速バスも豪華バスが人気と言われるが、それだけではもうからない。メディア露出の効果を他にも波及させることが大事」とそれぞれ語った。
プライス(価格)については成定代表が「(需要に応じて価格を変動させる)レベニューマネジメントは予約制であることが大前提。例年の需要や予約の伸びを見て価格を変えるのが従来型で、リアルタイムに価格を変える方法もある。一方、(定期券のように)サブスク的に安くして売る方法もある。これからは商材によって使い分けが必要で、価格を下げて需要が喚起できる商材か見極めなければ」と話した。
プレイス(流通)とプロモーション(販売促進)については、山田代表が「メディアが取り上げてくれるのは信頼性と公共性、新規性。鉄道の場合、信頼性と公共性は満たしているので、新しいことに取り組めば取り上げてもらいやすい」として若桜鉄道や近江鉄道時代の施策を紹介。
また、定期船運航会社時代に船員の大量退職に伴う採用が必要な際、社員に自社で働いている理由を聞き募集のコピーを作ったことに触れ、「定期航路なので毎日家に帰れるからと言われました。船乗りの世界では垂涎(すいぜん)の的だそうです。そこで、『毎日家に帰れます』と書いた。普通の会社では考えられないコピーですが、すぐに採用できた」(山田氏)と述べた。
視点を変えて
2人は、かつての日本の公共交通事業を「民間事業者が事業免許制度の下に保護され、『誰からも不満を持たれないサービス』を提供してきた『マーケティングを禁じられた業界』」と位置付け。徐々に厳しさを増す現状を打破する手段の一つとして、マーケティング能力を養い、視点を変えて考える大切さを示した。
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