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往時の“姿” 今も・・〝究極のブルートレイン〟「夢空間」

2023.10.13
大きな展望窓が特徴のオシ25 901「ダイニングカー」

 1991年1月、ある鉄道車両が運転を開始した。「夢空間」である。3両編成の豪華な客車は2008年3月の引退まで全国各地を走った。鉄道車両は一定の役目を終えると、博物館で展示されるケースはあるが、解体されることが多く、現役当時を知るためには各種資料、写真、映像などで確認するしかない。かつてない豪華な鉄道の旅を演出した夢空間は、その後のバブル経済崩壊に端を発した旅行スタイルの変化、レジャーの多様化などもあって、その役目を静かに終えていく。だが、一世を風靡(ふうび)した夢空間は〝歴史の一証人〟として現存しており、ショッピングセンターでの憩いの空間として、レストラン施設の一部として活躍している。

 憩いの空間、レストラン施設に

 1988年10月、フジテレビの企画で〝来日〟し、日本国内で運転された「オリエント急行」が、折からのバブル経済の波にも乗り、日本に豪華列車ブームを巻き起こす。当時は88年3月から運転開始した上野―札幌間の特急「北斗星」が新たな寝台列車として人気・話題を集めていたこともあった。JR東日本では89年3月に〝究極のブルートレイン〟とも称された豪華客車を新造する。

 豪華客車は89年の「横浜博覧会」開催に合わせて根岸線桜木町駅前のブース(夢空間 ’89 )で展示。90年10月の「国際鉄道安全会議」では特別列車として招待客を輸送した。その後は京葉線海浜幕張駅前でレストラン施設として活用されたが、91年1月10日から「北斗星トマムスキー」号に併結する形で旅客営業運転を開始した。名称を「夢空間」とした。

 夢空間は、オロネ25901「デラックススリーパー(寝台車)」、オハフ25901「ラウンジカー(スープリモ)」、オシ25901「ダイニングカー(食堂車)」の3両で構成される。

 芸術作品のよう

 オロネはA寝台車で2人用個室「エクセレントスイート」1室、「スーペリアツイン」2室、全室にバスルームを設置したもので、車両製造は日本車輌製造、内装は髙島屋が担当した。オハフは車内にバーラウンジを設け、ソファや自動演奏装置付きピアノを備えたロビーカーで、車両は富士重工業、内装は百貨店の松屋が担当した。オシは展望室のあるダイニングカー(食堂車)で、車両は東急車輛製造、内装は東急百貨店が担当した。車両メーカーの技術の粋とバブル期の豪華絢爛(けんらん)を演出した大手百貨店とのコラボレーションによる、まさに芸術作品でもあった。

 日本各地を走る

 客車列車のため自走することはできず、電気機関車けん引の「北斗星」と連結されて北海道方面の「夢空間北斗星」号として、東北、北陸、大阪、山陰方面でも運転された。夢空間は、今日の「TRAIN SUITE 四季島」「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」「ななつ星 in 九州」に代表されるJRグループ各社のクルーズトレインの先駆けとなった。

 

 穏やかに人に寄り添う

 SC内の休憩場所や都内仏料理店で〝余生〟

 2008年3月に惜しまれつつ引退。ラウンジカーとダイニングカーの2両は武蔵野線新三郷駅前の武蔵野操車場跡地を活用して09年にオープンした三井ショッピングパーク「ららぽーと新三郷」(埼玉県三郷市新三郷)で展示され、ラウンジカーは買い物客の休憩場所として利用されている。車内には今でもピアノが置かれ、カメラに収める人の姿も。ダイニングカーは車内に入ることはできず、外観だけ見ることはできる。

 また、デラックススリーパーは、11年12月に東京都江東区木場の洋食・フランス料理レストラン「A ta gueule(ア・タ・ゴール)」に移設され、翌年2月からラウンジとして使用されている。同レストランのオーナーシェフ・曽村譲司氏は日本人で唯一、オリエント急行のシェフを務めた経歴があり、ホームに停車するイメージで、店内からデラックススリーパーを見ながらの食事が楽しめるという。

 いずれの車両も屋外展示・設置のため、雨風などにさらされ、車両外観の傷みが目立ち、きらびやかな往時の姿はない。ラウンジカー車内は改修されている。

 あす10月14日は「鉄道の日」。明治維新後の1872年、日本で最初の鉄道が新橋―横浜(桜木町)間で開業したことを祝い、記念する日。鉄道の一時代を築いたこの客車に思いをはせてみるのもいい。

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